色たち日記

風俗通いをやめるための日記です。

再び、風俗通いをやめるために

最後の更新から半年以上がたってしまいました。
便りがないのは無事の証と言いますが、この半年以上のあいだ、私が色を絶っていたのかといえばそんなことはなく、これまでとなんら変わりなく風俗に通ったり女性と会ったりしていました。

それでも、頻度は今までより少なくなっていたので、危機感が減じていたのですが、今月に入りすでに三度も風俗へ行ってしまい、これはまずいと煩悶していたところで、このブログの存在を思い出したのです。

三度目は本日行きました。

三度合計でおよそ7万円。
年末のボーナスを貯金に回したおかげでいくらか余裕があったとはいえ、私からしてみればとても高い出費です。

早晩生活が破綻するのではないかと、これはある種の賢者タイムがもたらすものかもしれないですが、不安でいっぱいです。

恋人との関係も依然として続いていますから、いまこの瞬間はすさまじく良心の呵責に苛まれているわけです。
それは何も今日に限ったことではありません。
はじめて風俗に行ったその日から、賢者タイムがもたらすのであろう良心の呵責に苛まれていました。日頃何事においても自分自身の身の振り方を反省することのない私としては、自分の行いを反省する自分自身が嫌いではなく、これはこれで気持ちの良いものでもあるようです。

とはいえ、帰り道に抱く「もう風俗へは行くまい」という決心は嘘ではないのです。

問題は、その決心はしばらくするとすっかり忘れられてしまうことです。
下手をすればその日のうちに部屋で手淫をすることさえあるのです。
ですから、この色たち日記はそのような決心を継続するためのものとして、やはり書くべきでないだろうか、と思い再び更新することとしました。

この性欲についての煩悶はもはや、医者にでもいったほうが良いのではないかと(今は)思うくらいですが、再びの色たち日記が無残にも失敗したならば、その時はそのようなことも真剣に考えてみようと思います。

ちなみにこれは以前にも書いた思いますが、私は性風俗、あるいは性行自体について良い悪いということを、ひとまずいまのところは、言いたいわけではありません。

お金がなく、恋人がいる(恋人は決して浮気も風俗通いも許さないでしょう)男が風俗へ行ったり出会い系で女性と交わることに問題があるということです。

なぜ風俗へ行ってしまうのか

これまでのエントリを読み返したら、である、だとか、〜だ、とかずいぶん偉そうだったので、書き方を変えることにしました。

さて本日も風俗の話ですが、なぜ風俗へ行ってしまうのだろう。もちろんエッチなことが好きだからなのですが、とはいえエッチなことにもさまざまな種類があります。単にエッチなことが好きだからと単純に終わらせるわけにもいきません。

特殊な性癖というものがあります。普通の性癖というのがどういうものなのか、わかりませんが、風俗で言えばSMやM性感、フェチ系と言われるようなお店は特殊な性癖ということになるでしょう。たしかに、男だらけの場所で、ピンサロだのソープだのに言っただなんだと言う人はいいますけれども、先に挙げたようなお店に行ったという人はあまり会ったことはありません。おおっぴろげに人に言うのは憚れるのでしょうか。おおっぴろげに人に言えないということそのものに興奮する人もいるかもしれません。

とはいえ、私の周りにいる人から想像しただけなのではっきりとはわかりません。あまり輪郭のはっきりとしない話をしても仕方ないので、私自身の話を書くべきなのでしょうか。

ですが、これがいまいちわからない。いったい自分が何に興奮するのかはっきり認めていないのです。女がいるにもかかわらず風俗へ行くということは、女との性生活に不満があると思われるのが一般的でしょう。特殊な性癖を女に打ち明けられないとか、女があまりしてくれないとか。私に関して言えば、女がしてくれないというわけではありませんので、私が特殊な性癖を持っていると考えられますけれども、これも微妙なのです。

私は、私と付き合っている女とのセックスにあまり乗り気になれないのです。理由はよくわからない。もちろん女が気持ち悪いというわけではありません。むしろ私が気持ち悪い。

一日中エッチなことを考えているわけではないにしろ

たとえば断酒。 一日の終わりに、本日もお酒を飲みませんでしたと伝える。 ささやかな励ましの取り組み。

私は、本日、風俗へ行かなかったと記す。 しかし、よくよく考えてみるとそもそも毎日行っているわけではない。仕事を終え明日も仕事が待っている憂鬱な夜に行こうとはさすがに思わない。週末になったら行こうかな、と考えているわけですらない。ひごろ風俗のことなど頭にのぼってくることは稀なのだ。

そらそうだ。一日中エッチなことを考えているなんて異常だ。いや、もしかしたらそういう人もいるのかもしれない。異常にも種類があるのだ。私も、そいつも、異常だ。

毎日の生活には、エッチなこと以外にも頭に浮かぶことはたくさんある。トイレに行かなくちゃ、ご飯はなにを食べようかな、部長はいやなやつだな、とさまざまある。仮にエッチなことを思ったとしても、ご飯を食べていたら忘れてしまうし、他にも浮かんでくるさまざまな事柄をいちいち押しのけてまで、エッチなことは浮かんでこない。

だから、風俗に行くのをやめようと、思ったところで、毎日の生活はあまり変化がない。なんというか「三日やめました」ということにあまり意味はないのだ。

最初にあげたお酒。いや、お酒は飲まないのでタバコにしよう。毎日毎日吸っているタバコをやめようと思ったら、毎日毎日が戦いである。一日一日の積み重ねに意味があるだろう。だからこそ毎日の励ましは重要だ。 私は毎日風俗へ行くわけではない。酒やタバコとは違う。私の生活の中で風俗へ行きたいと思う時間などごくわずかなのだ。しかし、生活のなかでときおり姿を現す風俗へ行きたいという気持ちに私はあっさりと従ってしまう。ここが大事だ。不意にやってくるこの気持ちとどう接するかについて、考えていかなければならない。

過去の行動を振り返ってみると、私は、たとえば週末の仕事終わり、ふっと風俗へ行きたい気持ちがわき起こる。いやいやと思う。でもちょっとだけ、という気持ちでHPをのぞいてみる。いいなあ、行きたいな。このあたりでもう駄目である。私は私の誠実さのためにいちどはスマホの画面を閉じる。2、3回呼吸するとまた開いている。おそらく、もうすでに行かないと損をする気すらしている。閉じたり開いたりを繰り返し、嫌な気持ちになってくる。なにも考えたくなるなるのだ。とりあえず電話してみようと、お店に電話する。とりあえずなどない。店員が出て、おしまいである。気持ちよくなって、暗い気持ちで家に帰るのだ。

風俗を断つワケ

風俗、すけべなお店の存在についての議論というのはきっとさまざまあることだろう。否定するのも肯定するのも好きにしてもらうにしても、行っている以上は存在を肯定していると言える。せっせと通いながらけしからんなどと言う人はいないはずだ。 私自身、あまり難しいことはわからないものの、せっせと通っているのだからやはり肯定しているのだ。 それでも行くのはもうやめようと思うのにはいくつか理由がある。

まず、そもそも私には女がいるのである。女がいるということが理由になるかどうかは人によるだろうけど、私にはなる。いかなる理由で、理由になるかと言えばそれもまた人によるだろう、とにかく私には十分理由になるのだ。

もう一つ、こちらのほうが本音では重要かもしれないが、お金である。風俗へ行くと言うのは決して安い行為ではない。ピンキリとはいえやはりお金のかかる遊びなのだ。もちろん、そうだ、そんことは、みんな知っている。しかし、風俗におけるお金の問題もこれまた人によって異なる。お金がある人なら安く思えるかもしれない。私はお金がちっともない。もう27歳だが、大学を出たばかりの人よりも少ない給料しかもらっていない。だからとてもとても高い遊びなのだ。

女がいて金がない。

そのような状況でも人は風俗などへのんきに行くのだ。この状況を支えているのは私が実家に住んでいるとうことだ。生活費を入れてますよ、などと威張るわけにはいかない、一人暮らしよりはやはり楽だろう。親の冷たい目だけ気にしなければいいのだ。

別にそれでも生活出来ていればいいのだろう。実際、のんきにドラックパーティーをやっている人もいるのだからいくら私がのんきと言えどたかが知れている。しかし能力も金もない私に似たのか、実家もまたあまり金がない。

もちろんこのままではいけない。わかっていながら、のんきにせっせと通っているのだ。よっぽど頭が悪いのかもしれない。いや、悪いのである。 私は真剣だ。困っている。

明日以降も書くために今日はこの辺りにしておく。 本日、手淫1回。 オナニー。これもまた問題であるけどまたいつか。

風俗通いをやめたい

風俗断ちをしたい。

 
風俗もそうだけど、出会い系もまた問題である。これも断ちたい。
 
今日のことだ。一月半ぶりに風俗へ行った。一月半前に風俗へ行ったさい、もう二度と行くもんか堅く誓ったにもかからず一月半経った今日、誓いはどこへ行ったのか、またしても行ってしまったのである。
 
これまでも何度堅い誓いをしたかわからない。その度に一月二月経つ忘れてしまうのだ。これはもはや病気なのかもしれない。なんの病気かはわからない。病気ではないかもしれない。いずれにしろ自分の意志ではどうにもならないようなのだ。
 
もちろん行きたくて行くのだ。好きなのである。最中はとても良い思いをしている。この世の天国のような気分だ。けれど、いざ終わってみるとひどく落ち込む。私が抱えているあらゆる現実的な問題がいっきに押し寄せてきたような気分で、虚ろだなあ、などと思う。賢者モードというやつかもしれない。もともとやましい気持ちがあるので賢者モードもいろいろと上乗せされてくるようだ。今も落ち込んだ気分で書いている。明日になったらケロっとしているかもしれないけど。
 
しかしやめたいと思うのには理由がある。だからやめなくてはならない。風俗から帰る道中、いつにもまして真剣に風俗をやめるため、さまざま思案した。不意にブログを書くのはどうだろうか、と思いついた。これは名案だと思った。
 
長く続けている何かを辞めるのは難しいだろう。いろいろ方法はあるだろうけど、毎日毎日、やめていることを実感して自分を励ますのは良い方法なのではないかと思う。そして誰かに報告したほうが良い。今日も私は頑張りましたよ、と報告する。日々のモチベーションになるだろう。風俗通いについては、人によるのだろうけど、私は周りにそんな話をできる人がいないので、ブログを書くことで報告の代わりにしよう、とそんな風に思った。
 
 
そうだ。帰り道ではたしかに名案だと思った。しかししばらくたった今となっては、いくらか怪しいようにも思っている。しかしのしかし、他に良い方法が思いつかない。なので、とりあえず思い立ったことをやってみうようと思う。そのくらい破れかぶれだし、真剣だし、困っている。
明日以降も続けていくために、今日はこのくらいにしたい。